2019.07.31 青森県最大級のねぷた! 「五所川原立佞武多」約80年越しの復活への軌跡
高さ20m超のねぷたが町を巡行する、毎年100万人以上が訪れる祭り「五所川原立佞武多」。実は平成に再開された祭りというのをご存知でしょうか。大正の初めごろまで、競うように高さを比べあった、幻のねぷた。平成の世に蘇るまでには、どんなドラマがあったのでしょうか。
今回は、毎年8月4日から8月8日に開催される「五所川原立佞武多」の当日のようすと、奇跡の復活への歴史をお送りします!
立佞武多の開催地・五所川原市とは
五所川原市は、青森市の西に位置する、津軽半島の付け根に位置する町です。五能線の沿線にあり、人気の観光列車「リゾートしらかみ」の停車駅でもあります。冬は地吹雪が吹く厳しい気候としても知られ、それを活かした体験ツアーなどもあります。
しかし、五所川原に一番人が集まるのは8月、五所川原立佞武多の時期です。今回もねぷたの時期に合わせて行ってみました!
高揚感がたまらない、夕刻の祭り会場
夕方の五所川原駅前にやってきました。着々と準備が進んでいる駅前から、会場へと向かいます。
町の中心部の様子。駅からは徒歩5分程度です。有料観覧席も設けられ、多くの人が集まっています。
そして、町のメインストリートにそびえたつ「立佞武多の館」。ねぷたを収容するために数フロア分の吹き抜けがあるのが特徴です。間近で見るととにかく大きい施設で、立佞武多への気合が伺えます。
その他、近くには「吉幾三ミュージアム」があります。実は五所川原出身の吉幾三先生。「俺ら東京さ行ぐだ」の衝撃的なラップで物議を醸した時期もありましたが、今やすっかり五所川原の顔になりました。興味のある方はぜひ。
少し時間があるので、開始前のねぷたを何台か撮ってみます。背が高い分、アオリ構図が効いていますね。
巨大なねぷたが、続々と所定の位置についていきます。
最近人気の漫画「文豪ストレイドッグス」とのタイアップも。五所川原出身の文豪・太宰治つながりでしょうか。
津軽富士を背景に、駐車場に車がズラリ。停めるスペースを探すのは大変そうです。そうこうしているうちに日が暮れてきたので、先ほどの町の中心地へ。
一台一台が芸術品。心が震える五所川原のねぷたたち
立佞武多の館に戻ると、出発を待つ一台のねぷたが。近代建築から文字通り「発進」する様子を見ると、心が躍ります。
近くには、群衆にアナウンスをする人影が。よくよく見ると、吉幾三先生です。毎年五所川原までいらっしゃるそうで、「立佞武多」というテーマ曲も作曲されています。祭り中は生歌が聞けるので必聴です。
宵闇が迫る会場に、ねぷたが美しく輝きます。良いカメラで撮ると、美しさが引き立ちそうですね。
祭りの始まりを告げる「たちねぷた」の文字。いよいよ開始です!
超大型太鼓を2台搭載したねぷたが動き出します。「ドドン、ドドン!」という一定のリズムに合わせて、ハネトたちが「ヤッテマレ! ヤッテマレ!」という掛け声を上げます。セリフも相まって、「勝鬨」と言った方が適切かもしれないですね。ひたすら繰り返す太鼓と掛け声を聞いていると、気分がどんどん高揚します。
ここからは「動く芸術品」ねぷたを写真でご紹介します。
浄瑠璃「国性爺合戦」の主人公・和藤内。明の遺臣・鄭成功をモデルにしているそうです。ポーズがいいですね。
津軽富士見湖に題材を取った一作。600年前の伝説をモチーフにしているそうです。
「津軽十三浦伝説 白髭水と夫婦梵鐘」という作品です。水の動きと色合いが素晴らしく、最高傑作の一つだと思います。
いわずと知れた「弁慶の立ち往生」。
愛を知る男・直江兼続。この辺りは割と定番ですね。
不老不死の薬の探すために日本にやってきたとされる方士・徐福をテーマにした作品。ちゃんと船に乗っています。
歌舞伎の祖、出雲阿国。最近の新作だそうですが、2019年に解体されました。同じねぷたは3年しか見られないそうです。
そのほか、背の低い通常のねぷたも運行されていました。青森ねぶたに負けない迫力です。
五所川原なのに、なぜかくまモンがいます。理由は……行ったのが2016年だからでしょう(熊本地震があった年です)。
ねぷたを眺めているうちに、気づけば午後8時半に。今回は大舘駅で宿を取っているので、そろそろ引き上げです。
最後にもう一枚「白髭水と夫婦梵鐘」を撮って、会場をあとにしました。普段は本数の少ない五能線ですが、立佞武多の時期には臨時列車が増発されます。ホテルまでかなりの距離があったのですが、無事に間に合いました。ありがとうございます。
ねぷたのために電線を地中に。80年越しの「五所川原立佞武多」復活までの軌跡
さて、ここからは五所川原立佞武多の歴史について、少しだけご紹介します。事情を知ってからねぷたを見ると、また違った感慨があるかもしれません。少々お付き合いください。
もともとねぷたは旧暦の七夕に行われた夏祭りで、江戸時代中期までは比較的小さな灯篭が使われていたそうです。現在のような大型のねぷたが使われるようになったのは文化・文政辺りからで、各地で競い合うように背の高い灯籠が作られ、作りも精巧化していきました。
しかし大正時代になると町中に電線が張り巡らされ、5mを超えるような高い山車は運行が困難になりました。他の地域では背を低く幅広にして対応しましたが、五所川原ではこの時衰退し、忘れ去られてしまったようです。
その後平成に入り、五所川原のねぷたを復興させようという動きがありました。しかし町中を運行させるわけにはいかず、河川敷へ運び、その場で火にかけるという方法を取りました。1996年のことです。
このままでは復興できないため、五所川原市はある決断をします。それは電線を地中に埋めるという手段でした。街の美観のために地中に埋める工事は確かにありますが、費用が高いので主に大都市の繁華街などで行われます。立佞武多を運行するために工事をするというのは前代未聞と言ってもよく、祭りのために行政を動かした市民の熱意がうかがえます。
またこの頃は五能線のテコ入れの時期にもあたり、1997年には「リゾートしらかみ」の運行が開始されました。臨時列車の本数などにも、祭りと鉄道の連携が見てとれますね。
結果、数々の困難を乗り越えて、1998年に約80年ぶりの「五所川原立佞武多」が開催されました。客足も順調に伸び、今では100万人超が訪れる祭りへと成長しています。
近代化の波に押されて、一度は途絶した伝統のねぷた。妥協することなく古式を復活させようという強い意志と行動力には、本当に頭が下がる思いです。私も見習いたいですね。
今回は約80年越しの復活を遂げた「五所川原立佞武多」をご紹介しました。普通に見るのもいいですが、事情を知ってから向かうと、より感動できると思います。青森ねぶた・弘前ねぷたと併せて、津軽の短く激しい夏に、心を躍らせてみてはいかがでしょうか。